【感想】『来る』 全てに目を背けるな

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見た、そして来た。

鑑賞後の余韻や謎が残る傑作。パンフレットも即購入するほど。

ネットやTLでは、ホラー版シン・ゴジラという口コミを見て、興味が沸きました。

 

ホラー的演出やちょっとグロいシーンもありますが、テーマは虚構と現実。

見えない心と見えない”何か”。見えてる理想と見えてしまった”何か”。そんな誰の中にもある心の”何か”が現れる。

 

”何か”に対応するのは霊媒師を職業とする方のSFホラー感が強いシーン。

しかし、そのSF以外の心理や描写、風景が限りなく現実に近い。

例えば、足跡や窓を開けたりする生活音が恐怖や日常にいるような音の演出が見ている僕らを作品世界に引きずり込む。

より一層”何か”が際立ち、僕らの隣や自身にもあるかもしれない当事者感が沸きあがる。

 

 

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映画『来る』特報 東宝MOVIEチャンネルより

 

あらすじ

幸せな新婚生活を送る田原秀樹(妻夫木聡)は、勤務先に自分を訪ねて来客があったと聞かされる。取り次いだ後輩によると「チサさんの件で」と話していたというが、それはこれから生まれてくる娘の名前で、自分と妻の香奈(黒木華)しか知らないはずだった。そして訪問者と応対した後輩が亡くなってしまう。2年後、秀樹の周囲でミステリアスな出来事が起こり始め......。

解説・あらすじ - 来る - 作品 - Yahoo!映画

 

 

以下、本映画に関わるネタバレがあります。

 

   

 

 

 

 

 

 

”あれ”とは

 

 

望んでいない原因により命を失った子どもたちの集合体。

 

そんなように僕は思えた。

望んでいない原因というのは、親からの虐待やネグレクト、秀樹(妻夫木聡)の実家でも話された「間引き」や妖怪に攫われたという名目で親に殺された子どもである。

 

この世でもあの世でもないような世界で、野崎(岡田准一)が子どもを抱えながら、たくさんの赤子が流れる川に逆らい進んでいたり、病院での子どもたちの幻影を見た看護師が直後に殺された後を見ると、より一層子どもたちの怨念のような集まりだと考えられる。

 

恐らく、あの川の流れの行き着くところが、”あれ”に吸収され、そのものになるのだろう。

 

”あれ”はなぜ負の感情を求めるのか

 

 

霊媒師の比嘉琴子(松たか子)の「”あれ”は水や湿っぽいものを好む」という発言から、嫉妬や嫌悪、嘘といった負の感情に”あれ”は呼び寄せられる。

 

 

秀樹(妻夫木聡)は常に主役でいたり、名ばかりのイクメンであり、現実は育児を妻の香奈(黒木華)に任せ、職場でも自分が輝くように後輩や同僚との不倫をしていた。

当人が、比嘉真琴(小松菜奈)に”あれ”の相談をし、「妻や子どもを大事にしろ」と言われると憤怒してしまう。

 

妻の香奈(黒木華)も自身の母のような堕落した人間になりたくないと思うも、自身が近づく結果になり、ついには育児放棄。

 

また”あれ”に魅入られた民俗学者の津田(青木宗高)の喉が乾く表現=負の感情をさらに求めるようにも。そもそも津田(青木宗孝)が秀樹(妻夫木聡)をどこか羨望していた心があったからだと思っています。

 

 

 

”あれ”(不条理な理由で亡くなった子どもの集合体)が生きていたときに与えられた最後の感情が心の闇だからこそ、負の感情を求める。

 

”あれ”は育児放棄や親の手によって殺害されたりと親からの愛情が受け取れなかった反面、負の感情には浸るほど浴びたはずなのだ。

 

だから皮肉にも、”あれ”が最後に受け取った負の感情が、親の愛だと思い、秀樹(妻夫木聡)や妻の香奈(黒木華)にも愛情を求めた。

”ただ、それは殺害されてしまうことだが。

 

”あれ”がなぜ鏡を嫌がるのか

 

 

逢坂セツ子(柴田理恵)が、「痛みを感じることが生きているということ」と発言していることから、痛みがなければ生きていない。

 

痛みを知ることは、前述の心の闇に向き合わないといけない。

感情やあらゆる感覚がなくなったとき、痛みを感じなくなる。医学上意味では、生きているかもしれないが、人としては既に死んでいる。

 

”あれ”が鏡を嫌うのは、”あれ”もまた自身を見たくないからであり、呪われたというより魅入られた人は、本当の自分を見ようとはしなかった。いや気づきたくなかったと言うべきか。

 

”あれ”が鏡を見たくないのは、自身の現実に目を背けたいから。「数減らし」や育児放棄などの不条理な闇の理由によって、殺されたことを認識したくない。

自分は愛されていたはずだ。君もあなたもそうだよね。だから友達だよね。その痛みの逃避行をする人に、”あれ”が近づき、”あれ”視点からすると友達を増やす行為とも取れる。

 

”あれ”と同化した知沙は父親が生きていた幸せだった理想の世界(ブログ)にひそみ、更新を続け、比嘉琴子が霊媒術を行った際には、”あれ”が言われたくない言葉や鏡を突き付けていたシーンからも、向き合いたくないことが読み取れる。

 

 

”あれ”は消滅したのか

 

 

消滅したけど、まだ知沙の中には、残っている。

 

知沙はまだ楽しい理想世界(ラストのオムライスの国のシーン)におり、父親の秀樹(妻夫木聡)が亡くなった後でも、パパがいつ帰ってくるのかと現実に目を背けていた。

 

 

つまり、生存者の中で鏡に向き合うことをしていない。

また、”あれ”と接触した比嘉真琴(小松菜奈)が傷口に毛虫があり、姉の真琴(松たか子)が煙草によるお祓いをしていたシーンがあったことからも完全には、消滅していないはず。

 

最初から自身の心の闇に立ち向かっていた比嘉真琴(小松菜奈)、自身の闇に向き合った野崎(岡田准一)。

 

彼らを中心に、他者からのコミニケーションによって化け物になるかならないかが決まってくる。

 

ただ、知沙を含めたラストのベンチでのシーンは、少なくとも光があるエンディングだと思っている。

 

 

”あれ”はいつどうやって生まれたのか

 

 

田原秀樹(妻夫木聡)の実家での、いい意味では「大家族」。裏を返せばみんなが同じ方向を向かなければならない「閉じた世界」。妬みや陰口、田原加奈(黒木華)を表面では褒めるも、裏では暗い性格と話す親。そんな現代社会、いや昔からあった表面化していない闇の心が、”あれ”を生み、増幅したのだろう。

 

だから、人の心の闇がなくならない限り、”あれ”はなくならないだろう。

 

また、”あれ”は蜘蛛の糸でもあるようにも思いました。

命を亡くすか、今まで振り向かない自分の闇に立ち向かい、生きるかの最終警告。

 でもそれが今作のテーマであり、常に自分自身の見たくない、関わりたくない心と向き合い、生きることの大変さなのだ。

 

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”あれ”がいる世界観や演出

 

 

比嘉琴子(松たか子)が集めた大霊媒は、まるで災害を分析するような現実に根ざした分析班や自撮り(恐らく、これも霊媒の一つ)をする女子高生。四天王のような東西南北を守るおじさんたち。あくまでも除霊のような意味では神事であることから、壮大。ここまでは、抵抗するも、力及ばずの繰り返しだったため、「ついに、反撃か」と熱くなります。ここがシンゴジラ感と呼ばれる理由の一つかと。

 

”あれ”以外にも多くの怪奇現象が日本の中枢期間や世界までも絡んでいることが読み取れるし、僕らの世界では、日常に紛れていたご老人方が、めちゃくちゃカッコよく見える。

 

主人公の頼れるベテラン師匠感が出ていた柴田理恵がかっこいいことに加え、BLEACHの藍染惣右介のような、最強の比嘉琴子(松たか子)。

ラーメンの啜り方が、趣があるキャリアウーマン。

ファブリーズならぬ除霊EXは、めちゃくちゃ好き。

比嘉琴子は最後生死不明でしたが、生きてるはず。というか生きてて…

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そして、除霊EXをたくさん纏う岡田准一は癖になる面白さ。どうしてもSPのイメージがあったので、誠実で最強のSP。そんなイメージとは、真逆のブレブレの演技。

”あれ”に魅入られた人たちの暗さや負の感情が露呈する場面は、怖さや見ちゃいけないものを見てしまったように体がこわばる。

 

幸せの象徴だった明るい色のアパートがだんだんと不幸のアパートのように色が変化して、”あれ”は全てを壊す原色だったりと色の怖さが印象的。

 

比嘉真琴(小松菜奈)は自分自身に向き合わない人が多い中、唯一最初から最後まで向き合い傷だらけで、強いキャバ嬢霊媒師。心身ともに傷つき、生きる姿が要領悪いけど、一番素直に人として強い。

 

 

知沙につけていた指輪は、沖縄の魔除けのサン結びを模したもので、作品の至る所に”あれ”以外は限りなく現実に見せる世界観が日常でもありえるような錯覚に陥る。

 

 

最後に、秀樹(妻夫木聡)を。

ブログをはじめSNSに浸かっている僕らは、ネットと現実が入れ替わってしまった自分を映画越しに見た人もいるはず。

薄っぺらくて、自分が主役の人生でないと気が済まないように見えたり、子どもや妻を守る姿、”あれ”に遭遇して焦る姿。いろいろ心理が変わるけど、それは皆さんにも当てはまったりする部分があると思う。もちろん、僕自身も薄っぺらいかもしれないし、薄っぺらくないのかもしれない。

  

野崎(岡田准一)から見ると家族を守っていた秀樹(妻夫木聡)と香奈(黒木華)から見ると自己中心的で、捨てたかった秀樹(妻夫木聡)。同じ人物が違うように見えていたことが、オムニバス視点で描かれたこの作品の特色でもあると思う。

人によって、見え方や感じ方は違って、自身の表も裏も違う。この作品の”あれ”の怖さや負の感情の捉え方もまた、多様なはず。

 

現実あってのブログで、楽しいから書いてる。そんな気持ちも収益が安定したら僕も薄っぺらくなってしまうのだろうか。

でもそのときには、僕にも”あれ”が来る。

 

ぼぎわんが、来る (角川ホラー文庫)

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