『どろろ』を知ったのは、学生のころだった。
武将である父親が天下統一という力の代償に、生まれてくる自分の子どもの目や鼻、声帯、内蔵、腕というあらゆる身体の部位を魔物に明け渡した。
失われた身体を取り戻すために戦う百鬼丸。
身体を奪った妖怪や魔物を倒すとその部位の自分の体が戻ってくるところに、当時の僕は強烈に惹かれていった。
妻夫木聡が百鬼丸役を演じる映画版『どろろ』が僕にとっての出会いだった。
誰が批判しようとも、僕にとってはめちゃくちゃ心をくすぐられた作品だった。異質な百鬼丸と芯のあるどろろが織り成す和風ファンタジー。特に今でも印象に残っているのが、天狗のような鬼を倒すときの太陽をバックにした百鬼丸。
かっこいい。
それから、手塚治虫が手掛けた原作の『どろろ』を全巻を読みました。
なぜ読んだかというと映画版はおろか、原作も含めて、百鬼丸の物語にピリオドが打たれない。
『どろろ』は原作、旧アニメ版や映画も含めて百鬼丸の身体が完全に戻っていないんです。
(旧アニメは1話しか見ていません。申し訳ない…)
身体の部位がない状態で生まれたり、作風が暗い、映画では製作費の拠出できない等の様々な理由から打ち切りになったりしました。
百期丸の身体も未完成、作品も未完成状態。
僕の心も満たされない何かを探し、『どろろ』を追いかける様に関連作品に触れていた。
今回のTVアニメ「どろろ」では、彼の身体が戻るのだろうか。そして彼の心はどう成長していくのだろうか。
あらすじ
時は戦国。 醍醐の国の主である景光は、ある寺のお堂で 十二体の鬼神像に領土の繁栄を願い出た。 それと引き換えに生まれた景光の世継ぎは身体のあちこちが欠けており、 忌み子としてそのまま川に流され、捨てられてしまう。時は流れ、鬼神は景光との約定を果たし、国には平安が訪れた。 そんなある日〝どろろ〟という幼い盗賊は、ある男に出会う。それは、鬼か人か──。両腕に刀を仕込む全身作り物の男〝百鬼丸〟は、その見えない瞳で襲い来る化け物を見据えていた。
TVアニメ「ドロロ」から引用
第1話 醍醐の巻感想
手塚治虫原作の作風を現代風に表現した異質な百鬼丸が描かれる。反対に今後共に旅を続けるどろろに関しては、人間味あふれるタッチ。
映画や原作からの変更は、百鬼丸が最初から身体が奪わていなかった。
以前は、生まれた段階で身体の四肢や目がなく、産声さえもあげられなかった。
一度は産声を上げ、五体満足で生を得た。
しかし、刹那的人生。鬼神たちにより百鬼丸は目や鼻は体の四肢はおろか、皮膚まで奪う。
一度産声を上げたことが、百鬼丸の悲しさと生きたい気持ちをより一層強くする。
【本日1月7日(月)22時よりTOKYO MX他にて放送開始!】
— TVアニメ「どろろ」公式 (@dororo_anime) January 7, 2019
放送開始まであと8時間!
布に包まれているものは一体何なのか…?#どろろ pic.twitter.com/OED92xmjdD
アニメなのに『声』の表現をしないで百鬼丸を描く。だからこそ、より異質な何かとして描かれ、今後の百鬼丸の人間性や心が鮮明に映るだろう。
基本的に百鬼丸は、異質な体を操り強い。
ただ百鬼丸の身体が人間に戻るほどに、戦闘力に関しては弱体化していくんですよね。
作り物の体のパーツは成長しない。
取り戻したあらゆる身体の一部と心と人間性は良いことも、悪いことも、つらいことも経験する。
まるで彼の身体と心に色が宿っていくよう成長する。
今回の鬼神「泥鬼」
手塚治虫原作の第一話でも、同じ相手だった。
今回の第一話は表現は違えど、原作一話を辿ったような感覚。
原作をなぞる倒し方なら、鬼神はこの世の何かにすがらなければ形や存在を保てない。それは地獄堂の巨大な像然り。
切り刻んだり、ゴミの塊をなくしたことでこの世と鬼神を結ぶものがなくなったから倒せたと僕は解釈しました。
ただ、初見だと「・・・なんで倒せたの?」という感想は持ちそうではある。
手塚治虫公式サイトで一話のみ無料で読めますので、理解を深めたい方はこちらで。
やたら手塚治虫タッチの白黒の犬をどろろが自然の摂理からは厳しくするも、人為的なことには手を差し伸べる姿が、百鬼丸とどろろの関係にも重なるように描かれていたとこが好き。
原作や関連作品との変更点や
48体の魔神でなく、12体の鬼神と数が変更された。魔神だったり、鬼神だったりと名称は違えど外道という点は間違いない。
鬼神消滅
↓
百鬼丸が顔の皮膚を取り戻す
(全身かどうかは不明)
↓
地獄堂の像が破壊される
↓
醍醐景光の天下統一の力である戦力や土地が失われる
百鬼丸が人間に近づくほど、父の醍醐景光の武将としての力は反比例して失っていく。
原作や映画ではない設定。
今回の琵琶法師(琵琶丸)は原作異常に強そうな。彼も百鬼丸と同じく、目が見えない代わりに何かを感じて、世界を見ている。
醍醐 景光をはじめ多宝丸や母親、百鬼丸の体と心を育てた寿海の面々が今後どう物語に表現を変え、関わっていくのかが楽しみだ。
もう一度言うが、四肢はもちろんのこと皮すらないし、産声を一度あげさせた上で身体を奪うのが今までで一番辛い。
シリーズ構成を担当するのは小林靖子さん。
僕の中では特撮作品(仮面ライダーアマゾンズやトッキュウジャー)で有名なのですが、やたらめったらとキャラクターに苦境を味わさせる鬼神。
ただ、彼女が描くのは「人」をこれでもかと丁寧に描く。
だからこそ魂が宿る。
そして見る人も覚悟をしなければならない。
その辺りはこちらの記事で書いてありますので
最後に
絵柄は僕の心を掴んでいるので、
また新しい『どろろ』という物語が見ればなと。
願わくば、彼の身体が完全に戻ってほしい。
実は一度だけ、彼の体が戻ったことがあります。
プレイステーション2のゲーム版どろろは完全に身体が戻ります。興奮しました。
今回の百鬼丸にも光を与えてくれ。
第2話も楽しみ。
2019/01/15
2話 万代の巻も書きましたので、是非。