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【感想】3話 寿海の巻 TVアニメ『どろろ』 贖罪の寿海と百鬼丸のルーツ

 

強烈な色彩で描かれる寿海の暴虐さは、主君の命令とあれど敵も己の心をも切り刻んでいた。

そして、妻と思われる人物を戦でなくし我に帰り、海に身を投げる寿海。

白黒の色彩を過去で表し、現実をカラーで表す『どろろ』第3話。

百鬼丸と弟子のカナメが寿海に残したものとは。 

 

目次

 

寿海自身の罪滅ぼし

まるで何かに取りつかれたように人を傷つけた寿海は身を投げた後、大陸の船に拾われて義肢作りの技術を会得し、再び戻ってくる。

彼自身一度は死んだと思った。

ただ多くの命に手をかけた自身がふてぶてしくも生きている。

だからこそ彼は町の戦や侍の横暴により腕や足を失った人に、義肢を与えた。

生きているのは罪滅ぼしのためだと思いながら。

 

弟子のカナメ

寿海に右足の義足を与えられたカナメは寿海の人助けに助力するも、寿海が自分の父親を殺した敵の一人と知ってしまい、最後の患者を助けることを約束に、殺すことを誓う。しかし自分を助けてくれた恩もあったのか、憎しみという義足を捨て寿海の元を去る。

孤児になってしまった辛い原因が自分を救ってくれた寿海だったことが悲壮さを深める。

 

百鬼丸は近い未来、カナメと出会うような予感がする。

敵として。互いに寿海に育てられた者同士、義肢を捨てた者と義肢を使う者との儚い戦いになってしまうのか。

 

 

どろろの時代背景である室町時代後期から戦国時代にかけては磔で刑を行っていた。

しかも百鬼丸の父親である醍醐景光の主君である加賀の国の富樫正親(実在の人物)の跡地に鳥越城が建てられた経緯の一つに磔が多く行われていた。その名残に磔刑を表したモニュメントが今も存在する。

参照:危険なパワースポット?加賀にあった百姓の国と城・白山「鳥越城跡」 | 石川県 | LINEトラベルjp 旅行ガイド

細かい時代背景が『どろろ』という世界を深める

 

 

百鬼丸と寿海の出会いは偶然だったのか

カナメがいなくなり、偶然にも寿海は百鬼丸と出会う。この頃はまだ生きる意志が強いが人ではない、だが人なのだろうという印象を持っただろう。

この出会いは百鬼丸が引き寄せた出会いのようにも思える。

 

寿海が土手に転ぶ際に、一瞬地蔵が映った。

一話の百鬼丸が生まれた時に、百鬼丸の母親「縫いの方」が助かったのも仏像が身代わりになっていたシーンもあった。

生きたいという強い意志が神仏の助けを得て、百鬼丸自身が引き寄せた出会いのようにも思える。

 

寿海の巻

 

寿海との別れ

ただ、生まれ持った運命に負けないように願う寿海だったが、原作と同様に今作も同じように百鬼丸を狙う鬼神や物の怪が集まってくる。

寿海は百鬼丸という名、生き抜く術とそのための身体を与えた。

鬼神「鎌鼬」を倒したことにより百鬼丸の右足が戻り、自らの体の運命を知り百鬼丸は体を取り戻す旅に出る。

 

寿海は罪滅ぼしに駆り立てられた8年以上の日々に、百鬼丸の成長にどこか親心を感じていたようにも見える。

百鬼丸もまた親とは何か分からないが、限りなく近い何かを感じていたはずだ。

 

百鬼丸は寿海の目から流れた涙がぼやけた青色の炎として見えていたはずだ。

 

この青い炎、1回目では分からなかった。

2回目の際に百鬼丸視点を通じ、どこかぼやけた青い炎が見え、百鬼丸もまた寿海を大切に思っていたことに気づいた。

だから寿海はただ殺生を教えたのではない。

一人の少年の心を立派に成長に導いた。

 

またカナメと百鬼丸が去る際に置いて行った右足は意味が違う。

カナメは憎しみを、百鬼丸は感謝の念を置いて。

そして、寿海はその両方を背負い過去にも未来にも向かえない。

 

 

魂の炎の色とは

百鬼丸や琵琶丸が世界を炎の色で判断する色のこと

2話の感想で詳しく書いています。

www.bokuto10.com

百鬼丸の戻った部位とは

2話で鬼神「万代」を倒した百鬼丸は、痛覚を取り戻す。

しかも確かめるために火を踏むってのも中々。

この痛覚はまだ戻った右足と顔の皮膚にしか戻っていないのだろう。

 

次回以降、鬼神を倒すと身体が戻る際に生える痛みを感じるはず。

いきなり目が生えてきたら痛いに決まっている。しかも異質な戻り方なら尚更。

それが百鬼丸や僕たちにとっても嬉しい。

いや、百鬼丸にとって嬉しいのだろうか。もっと違う何かのはず。

まだわからないなら、その先で分かるようになるだろう。

 

今回倒した鬼神「鎌鼬」をあっけなく倒したのには、百鬼丸自身の強さに加えて痛みを感じないから恐怖心がないこともあるだろう。

 

最後に 

右足を捨てたカナメ。右足を取り戻した百鬼丸。

日向の多宝丸。陰の百鬼丸。

対照的な二人が交わるときは、どんなことが起こるのだろうか。

 

寿海にもしっかりと良くも悪くも終着点を与えないと、血を吐きながらの終わらないマラソンが続くのが辛い。

原作や映画を含め、今までの寿海の中でも生きるのが辛いように感じる。

でも、室町時代後期から戦国時代にかけての人が義肢技術を使えることが当時では、神にも思えるものだったはず。そんな人だからこそ凄惨な生き様になったのだろうか。

シリーズ構成の小林靖子さんということを忘れてはならない。

 

そんな陰が多い中、五体満足で生まれ、醍醐景光の期待と愛情を受け多宝丸。景光の部下との修行も部下がわざと負けているかも気づかない偽の世界で日向に浴び、育っていくことが強く対比する。

 

今回の語り部は琵琶丸がどろろに語ったという解釈でいいのだろうか。

それとも我々視聴者だけが具体的に知っている神様視点なのか。

 

百鬼丸が声を発しないことに違和感を感じない。

もはや最終話で百鬼丸が「どろろ」と呼んで終わりでもいいのではと思うほど。

だからこそ百鬼丸に声が戻るとき、僕たちもまた百鬼丸にシンクロしたような感覚に陥るはず。

 

 

第4話予告「妖刀の巻」

 痛覚を知った百鬼丸が知るのは痛覚だけなのだろうか。第4話も楽しみ。