【感想】(3月17日追記)10話 多宝丸の巻 TVアニメ『どろろ』 正義を持つ少年と偽りの栄華

16年前に百鬼丸が生まれ、周囲の劣悪な環境とは異なり、緑豊かな土地である醍醐の地。土地も武運や天候の全てを鬼神によって、周囲から吸い取り、天下統一に近づく武将の一人であった醍醐景光。それは、百鬼丸という犠牲により成り立っていた。

 

良い奴として描かれた多宝丸

その後に生まれた百鬼丸の弟の多宝丸。百鬼丸と比べなくても武将の跡継ぎとして、十分なほど裕福な環境で成長した。父の景光と同様に残忍な性格や他を顧みない部分を引継いでいれば、多宝丸を悪い奴として見ているだけで良かった。

しかし、多宝丸は劣悪な性格を引継ぐどころか、寂しさを感じ、民や土地を大切に考える良い人物として描かれていた。

母に気に入れられようと木を登っても、首のない菩薩像に祈っている姿や父が16年前の赤子を隠している姿を見続けてきた多宝丸は、幼少時から今も疎外感を感じていた。

そして、民のことを考え、魑魅魍魎の類を倒そうと行動や策を練ったり、できるだけ犠牲を出さないよう考える正義を彼は持っている。悪者でなく、良い奴に見えてしまう。

どうしても全てを奪われ、生まれた百鬼丸と全てを持って生まれた多宝丸との比較をする際、前者が善、後者が悪と考えがちだ。それを単純な勧善懲悪として描かず、多宝丸にも多宝丸で辛いことがあるんだよなと感情移入できてしまう部分に、やきもきするし、二人の対比や醍醐家の今後起こるであろう事件をより面白くさせている起爆剤の一つとなっている。

 

多宝丸の巻

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醍醐景光が作った偽りの栄華

第一話では、加賀の国の富樫政親の家臣であった醍醐景光。水田が荒れ果て、民は食べるものがなく、木の根をかじっているほどの状況の中、武運にも見放され、戦に惨敗の色が濃くなったときだった。地獄堂の鬼神に名もついていない息子(百鬼丸)を捧げ全てが一変した。

 

16年前とは異なり、緑は豊になり、水田には稲が数えきれないほどあり、武運や天候を味方し、天下を取ることも夢ではないほどに力を得た。

周囲が以前の似たような劣悪な環境の中、醍醐の地だけがタイの尾頭焼きや干しアワビ、まんじゅうを食べれるほどに豊かである。それは、鬼神が周囲から吸い取り、醍醐景光が天下を取るための全てを一つに集中させてるからだ。故に、百鬼丸が鬼神を倒すと、醍醐景光の周囲に土砂崩れや隣国の朝倉に不穏な動きが起きるのは、鬼神の力で成り立っている偽りの栄華だからだ。

 

以前の劣悪な環境を知識として知っていたとしても、目の前にあるのは栄えている土地と力を持った武将である父親。犠牲の上に成り立っていることを知らない多宝丸にとっては、ある意味で犠牲者の一人なのかもしれない。

仮に、今回相手した蟹妖怪が鬼神だったとする。

(3月17日追記、蟹化物でなく蟹妖怪という名前でした。また、鬼神でなく妖怪でした。)

 

民のためを思ってした化物退治が、逆に自身の醍醐の地を枯れさせる原因を作ってしまうことになる。さらに鬼神が跋扈(ばっこ)している世界を作ったのが、父親であったとしたなら。他を思い、正義を持つ彼はどう苦悩してしまうのか。

(蟹妖怪を百鬼丸が倒した際に、身体が戻っていない描写からすると鬼神ではなく、妖怪の類っぽいですよね。確証は次回の第十一話で明らかにはなるとは思いますが。)

 

 

 

 

第十一話「ばんもんの巻・上」予告

 

ばんもんの巻。ワンシーズンだと残り二話。

やっと交差する醍醐の息子たち。彼らは互いにどう思うのか。そして、醍醐景光とその妻縫の方がどう関わってくるのか。その家族争いに巻き込まれるのは、いつの時代も罪のない民なのか。

 

私事ですが、多宝丸の部下の大男の兵庫と現代だったらスーツスタイルが似合いそうな睦月が発言していた、蟹妖怪の体内に爆弾を持って、中から自爆特攻するの聞くと、『NARUTO』二代目火影(千手扉間)様が考案した互乗起爆札を思い出しますよ…