夜のミオを見たどろろ。そして、痛み分けとして『右足』と『声』の等価交換をした百鬼丸。何かを得るには、何かを失うしかないのだろうか。未来を求め、戦い続ける第6話。
前回5話のおさらい
次の第七話も書きましたので、そちらも
目次
理解者どろろ
百鬼丸に出会う前から自分の身で孤児たちを養っていたミオ。いつか黄金色一面の田んぼを手に入れるために、過去を、未来を戦から取り戻そうとしていた。
そんなミオの全てを見ていたのは、どろろだけだった。
どろろ自身も、母親と旅をしてきたがゆえに、体を売ることが醜いとされる仕事と知っていた。
それと同時に、仕事として絶対にしなかったから母親が死んだのかは分からない。ただ、どろろにとって母親はとても立派だったのだ。
そして、どろろは母親と正反対だけど生きて戦うミオを否定しないし、偉いと認めた。
認められたことがミオにとってはすごく嬉しいものだったに違いないし、その笑顔が太陽のように眩しいのが泣きそうになる。(唯一このアニメ版だけが、百鬼丸以外のもう一人の理解者として明確に描かれたことも彼女が少し救われた)
それ故に、寺から見た堺の陣に向かうミオの一瞬見せた陰のある横顔を見た神視点(視聴者)からすると生きるために泥をすするように切り抜く姿とやるせなさが胸に重い重いモノが沈んでいく。
【第六話「守子唄の巻・下」この後22時よりTOKYO MXにて放送!】
— TVアニメ「どろろ」公式 (@dororo_anime) February 11, 2019
鬼神との戦いで傷を負った百鬼丸は、再びミオ(CV:水樹奈々)の世話になる。彼女は持ち前の歌声で百鬼丸を癒やすのであった。#どろろ #水樹奈々 pic.twitter.com/lws8ohvLZ8
ミオの魂の色は透明だったのか
無理を押し通してまで、鬼神「蟻地獄」を倒しそうとした百鬼丸。今回は自身の身体を取り戻すこともあったが、それ以上にミオたちの新天地を獲得するために刃を振るった。百鬼丸にとってミオは、何なのか。まだこの時は知らなかった。
再び右足を失った百鬼丸はミオの歌声を通じ、音がある世界に少しずつ慣れて、穴倉から出ようとしていた。自身の魂の色が汚れた色と卑下していたミオだが、百鬼丸からしたら綺麗な魂の透明な炎の色ではなかったように思える。もちろん汚い色ではない。
見るだけでは、透明な炎の色。音がさらにその人に色を加えた。
歌声を通じて、百鬼丸にとっては手を伸ばすように太陽のような暖かい光として見えたミオ。まさにミオの魂の炎の色は種籾(たねもみ)のような黄金色に見えたと僕は思いたい。
すでにこの時点で、ミオは一つ戦から取り戻していた。
自分の春を失った彼女が、百鬼丸に恋心を思うことで明るい光のような気持ちを抱けたから。
だからこそ、命を失った悲劇さが強烈になる。
戦から奪い返す、泣きそうになると自分を守るように唄う『赤い花白い花』。ミオの涙声が聞こえた百鬼丸。このときになって、ミオが自分にとって大切な人だったと百鬼丸は自覚したように思う。
(百鬼丸が恋のような感情を自覚していたか不明だが、近い感情を持っているようには思える。)
穴倉から出てきたのは怒り、悲しみ全てを吐き出すように叫び、切り続ける鬼。もし盲目の琵琶丸が見たら、魂の炎の色には百鬼丸の鬼神の残り火が燃え上がっていたのかもしれない。百鬼丸を鬼から人に引き戻したのは、ミオが侍から取り戻した畑にまく種籾。ミオは最後に、百鬼丸を人として引き留めた。
百鬼丸から見た種籾には、ミオと同じ色をした黄金色は何を感じ取ったのだろう。ミオが介抱してくれたときに言った「無理して死んじゃったらダメよ」をはじめ、触れ合った全てが逆流した。屍となったミオを抱きしめる腕は傷つける剣。
最大限の彼の表現が、直接言えなかった名前が自然と漏れ出たのだった。
幸福の奪い合い
百鬼丸が鬼神「蟻地獄」を倒すことで、等価交換した『右足』を取り戻した(元々等価交換はおろか、百鬼丸のものだが)と同時に、醍醐景光の領主の力が消えていく。今回は恵みの雨が降らないということになった。前回も山崩れが起きたり、味方の今回でいう堺に不穏な動きがあるとされたりと。
ただ、これはある意味で正史に修正されている。
元々醍醐景光自身は、鬼神の力がなければここまで栄えることはなかった。鬼神の力はどこか他人の幸福や天候、戦などを奪って、醍醐景光に一極集中しているように感じる。今回恵みの雨が降らなかったことは正史に修正された。ただ厳密に言うと、百鬼丸の身体が奪われなければ、恵みの雨は、もっと前に降り干ばつが起きていなかったかもしれない。百鬼丸が人間に近づくと、人々に災厄がもたらされる。幸せを求めるには、誰かが不幸になってしまう天秤のような世界。その天秤を壊すためにも、鬼神を倒すしかない。
今回のミオが堺の間者と疑われたシーンには、ちらりと地蔵の姿が映る。本来、百鬼丸は領主の家の出。ミオと百鬼丸(この名前でない別人)は出会わなかった。百鬼丸は自身の身体を取り戻すために、本人の意志とは関係なく、誰かを引き寄せる。それは自身を取り戻すための手段を与えてくれた育ての親(寿海)もそうだ。彼が百鬼丸に会うきっかけに、河川岸から転んだ瞬間に映る地蔵。このことからも天は百鬼丸を味方している。ただ、人の運命の全てを彼に味方するよう運命を修正するように。
そうなると彼女が百鬼丸と出会わなければ、間者と疑われなかったのかもしれない。
(ミオの身体の斑点は、身売りの暴力ではなく、性病の可能もある。当時梅毒が流行していたこともあって、もしかしたら短い命だったかもしれないが)
出典:戦国時代の男性 「5人に1人は梅毒などの性病だった」説も - ライブドアニュース
まとめと次回予告
個人的には、どろろがミオを認めたシーンが泣きそうになりました。
最初にも書いたんですが、百鬼丸以外の全てを知った理解者が増えたことが嬉しい。恐らく、琵琶法師の琵琶丸は気づいていたような。百鬼丸もどこか感じていたが、彼女が綺麗な自分が見たことのない素敵な黄金色だった。そして、ミオからたくさんのことを体験したことが、百鬼丸の心の血肉となり、立派な心に成長する。それで十分だ。
ミオは百鬼丸と出会った方が良かったのか。出会わないで、未来を求め続ける道がいいのかは正直分からない。
孤児だった子どもたちも、未来を見ていたが、真実を知らないことがいいのか。孤児のタケと話していたどろろが脳裏によぎる。ただ、彼らが荒れた寺から移ろうと新天地を目指した力添えに、百鬼丸の右足についた戦から取り返した刀で一矢報ったことが小さくもあり、大きなことだろう。
周囲の不幸さで薄れる多宝丸だが、彼も彼なりに辛い部分もあるのだろう。家のどこかで感じる疎外感。彼の心が百鬼丸にどんな影響を与えるのか。物語も折り返しになった第6話。
倒した鬼神は、5体。残り7体。
テーマ的にはもっと違う何かを僕たちに叩き込んでくることもあってか、この調子だと、百鬼丸の身体は完全復活しなさそうな雲行き…
飲み込むのに時間がかかって書くの遅れました。
『どろろ』いい意味で胃もたれしますね。
TVアニメ『どろろ』 第七話「絡新婦の巻」予告
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