【感想】9話 無残帳の巻 TVアニメ『どろろ』 どろろの過去を彩る赤い曼珠沙華

 

 急な発熱(三日闇)にかかったどろろは朦朧とする中、赤い花の曼珠沙華(まんじゅしゃげ)を見て両親と過ごした優しくも苦しい記憶を思い出す。

 

三日闇
〘名〙 咳嗽、発熱を伴い、短時日で軽快する流行病。流行性感冒か。三日事。

※吾妻鏡‐寛元二年(1244)五月一八日「毎レ人悩乱。世号二之三日病一云々」

出典:三日病(みっかやみ)とは - コトバンク

前回のおさらい

 

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 目次

 

誰もが生きるのに大変だった赤い時代

農民のみで、武士だけを相手にしていた珍しい野伏(のぶし)のリーダーだった火袋とその妻のお自夜。それがどろろの両親だった。

戦を理由に暴虐をしている領主・武士を相手に倒す彼らの姿を見て育ったどろろは、武士=悪者の方式が成り立ち、早く悪を倒し、戦がなくなる世界を親と共に見ていた。

どろろが百鬼丸と出会う前から、武士が嫌いだったことが随所で、描かれてましたが、ルーツはここにあった。

 

しかし、来る日も来る日も武士や追手を相手にする日々に安息は訪れない。そんな状況を打破するためにも、自らの憎しみや怒りを忘れて、生きるために領主に取り入ろうとしたのが、いたちだ。

そのいたちが火袋たちを売って領主に取り入るんですが、別にいたちの生き方自体は間違ってはいないんですよね。もちろん火袋の武士を相手に戦う日々も。その後の地獄よりも汚く見えた戦の跡地には、人肉を食べて生きる人の姿もあり、第二次世界大戦まで、人肉を食べて飢えを凌ぐという風習というか、事実は実際に日本にあった訳で。

時代の流れというか、時代のせいにするしかなかったんじゃないかな。

 

今までも過去の時系列を表すのは白と黒。痛さや苦しみの火や血、曼珠沙華(まんじゅしゃげ)が暗示する悲しさの赤が、より一層引き立つから白黒の過去の記憶をより一層痛烈に見せる表現が今回も悲しいほどに表現されていた。

お自夜とどろろが辛い生活の中で、木に成った紫の実や黄色い花畑に色がついていたのは、未来や希望に繋がるものだから色づけがされてるんじゃないのかな。ミオの種籾も希望の黄金の色をしていたように。

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火袋が最後に伝えたかったこと

村と領主のいざこざに巻き込まれ、自らが倒した武士の生き残りに殺される火袋の因果応報。火袋は今回巻き込まれなくても、いずれ戦によって命を失っていただろう。

でも、そんな火袋が最後に伝えたかったことは何だったのだろうか。

「お自夜、どろろ…」や「生きろ」なのか?これ以外のセリフにせよ、いたちの立ち振る舞いやその後のどろろたちの生活の辛さを表現していることを考えると「生きる」というメッセージは少なくとも含まれているのではないかと考えた。
火袋のように憎しみを糧に誇りを持って戦い抜くという意味ではないと思う。
かと言って、いたちのように苦虫を噛む思いをして生きるというのは、心のどこかで理解していたが、口が裂けても言えなかったはず。誇りや自分のアイデンティティのが強かったからこそ、あの火袋がだったのだから。
 

自分のように無理に侍を憎み生きなくてもいい、己の守りたいものは守って生きて欲しい。そんなメッセージを言えなかった火袋から感じた。火袋が守りたかったものは、お自夜とどろろももちろん守りたいものに入っていた。しかしそれよりも侍や領主を打ち倒すという己の生き様というのが最優先になってしまっていた。

 

そして、お自夜が一番守りたいのは、自分の娘のどろろだった。火袋がいない今、自分よりも優先させたいどろろを優先し、どろろの食欲を満たしてあげたかった。火袋と一緒にいたら武士の施し(しかも裏切り者のいたちの炊き出し)を貰わなかったはずだった。お粥の器がない中火傷をしてまでも、どろろを優先させる姿は切なさと優しさやいろいろな感情が込み上げる。

 

先ほどもいたちの相手に取り入って生きるということも生き方として間違っていないと書きました。ここでもう少し掘り下げると、いたちもいたちなりに火袋やお自夜、どろろを守りたかったんじゃないかなと思います。すぐに裏切るなら、火袋を足止めの矢でなく、その場で殺せばいいはずですし。どろろにこれからは頭を使わないと生きていけないと言うのも、どろろには上手く生きて欲しいというような願望も含まれていたのではないか。それが今のどろろの処世術にも少しは繋がっているのかなと。

 
無残帳の巻

 

最後に

お自夜や火袋の死に方に違いはあったものの、原作通りな進行でした。お粥のシーンを僧でなく、武士の戦の戦力集めの一環にしたのは悲しさが増すという意味では良かった。

終始、自身の身体よりも、百鬼丸に置いてきぼりにされることを心配していたどろろを見ると、百鬼丸が大切な人になってるんだなぁと。百鬼丸もどろろを、拙い言葉で人々に聞きまわる姿は、互いにまだ何とも言えないけど、大切な存在同士なのは確かなんですよね。

またどろろが、女の子ということが判明。百鬼丸自身、魂の炎の色だけでは見分けがつかなそうだけど、声で見分けがつくのかもしれない。尼さんに言われる前から、どろろが女の子ということを知っていてもおかしくはない。でも百鬼丸にとってそれは些細な違いなのかもしれないが。

二人が歩く道に光は照らされ、反対に醍醐景光に光が消えていくのは今後の行先を暗示しているかのようで。

 

第十話「多宝丸の巻」予告